つまみ細工は日本特有の季節感、美意識を伝承する江戸時代から受け継がれてきた伝統工芸です 。
絹羽二重と呼ばれる、薄い平織りの生地を色鮮やかに染め分け、2〜3㎝程の正方形に裁断した布片をピンセットで摘まんで折りたたみ 糊づけし、台紙の上に季節の花々や蝶や鳥等の文様を形作る細工です。
(つまみ細工のつまみは四角い布を摘まんで作る事に由来)
接着剤として小麦粉を原料とするしょうふ糊や米糊(姫糊)等 昔ながらの炊きのりを使います。
京都の康照卿が奥方の着物の端布で薬玉の簪をつくる。
その後、つまみの薬玉を時の天皇である後桃園天皇に献上すると、宮廷の女官たちが、着物の端きれで花飾りを作り始め
琴爪の箱や文箱やお守り袋に装飾した。
ここで、花びらかんざしの技法が生まれる事となる。
花びらかんざしの技法が江戸城に伝わり、城中の奥女中が絹羽二重製のつまみの花簪をもちいた。
専業者が現れる。武家や町娘たちの間で人気となり、色鮮やかで値段も手頃だったつまみ細工は参勤交代等で江戸へやってきた人々の「江戸土産」としても重宝されるようになる。
会津若松市の白虎隊記念館の遺品の中につまみの薬玉があり、「江戸土産だったのではないか」といわれる。
明治36年3月 女学手芸教育の訓令。
女子教育の一環とし女学校の科目にも取り入れられる。
また、つまみ細工の絵画化が試みられるようになり後に「つまみ画」となる。
文明開化の波が押し寄せると、女性の髪形も洋髪に変わり、つまみ簪の需要は減り衰退する事となる。大正時代に入ると、大正ロマンチシズムに華やぎ、花柳会が活気づき、再び簪が息を吹き返す。その後経済不況、戦争,敗戦へと激動の時代の中、女性の風俗の変化と共に盛衰を繰り返す事となる。
花街や舞台、成人式や七五三等、晴れの日の髪飾りとして見られる。
様々な色を組み合わせて作る「つまみ細工」は日本特有の季節感、美意識が詰まった日本古来の伝統工芸品であり、近年海外からの注目も高まっている。
「時代のニーズに合った売れる製品こそが最上である」という職人の考えのもと簪のみならず、様々なデザインの作品がつくられている。
東京都指定伝統工芸として「江戸つまみ簪」がある。
◆上記の内容は書籍やインターネットからの引用及び自身が職人から伝え聞いた内容をまとめたものである。
~蝶々をつくっています~
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